昨日の午後成田を発ったノースウエスト航空は
まもなくジョン・F・ケネディ国際空港に到着する。
機上の人となった今日子は機内ではほとんど眠れなかった。
大沢に会えると思うと溢れる気持ちを抑えることが出来なかった。
時々自分の腹部に触れてみる。
ここに大沢との子供がいると思うだけで
今日子は何度も涙ぐみそうになった。
妊娠のことを伝えればどんなに喜んでくれるだろう。
大沢はいつも大きな愛で今日子を包んでくれた。
早く早くと気持ちが急いた。
機内を走りたい衝動に駆られた。
嬉しい報告をニューヨークで出来る。
今日子の気持ちは次第に高まっていった。
税関を通過して、空港の到着ロビーに行くと大沢がいた。
大沢はすぐに今日子を見つけてくれた。
「久しぶり。よく来たね。今日子、会いたかった」
「私もよ。本当に会いたかった」
二人はお互いの気持ちを確認しあった。
大沢は今日子を車に乗せると空港をあとにした。
大沢のアパートに着くと今日子は目を輝かせた。
大沢がニューヨーク支店に転勤になって1年半。
今日子にとっては初めてのニューヨークであり大沢の部屋だった。
「ここがあなたのお城なのね。思ったよりきれいだわ」
「今日子に叱られるから、昨夜は思いっきり片付けた」
「あなたはいつも一夜漬けね」
そう言いながら振り返ると、ふいに大沢に抱きしめられた。
大沢は今日子にキスをした。
甘くとろけるような大沢のキス。
横浜で過ごす一人の夜
今日子は何度大沢の唇の感触を思い出したことか。
大沢のキスはいつも蜜の味がした。
「街に出て食事をしよう。少し今日子を案内したい」
大沢のアパートから歩いてセントラルパークへ行った。
「この公園は昼間芝生に座って日光浴や読書や
ピクニックランチを楽しむ人が多いんだ。
ニューヨークの人たちの心のオアシスなんだ」
「ここは毎日僕のジョギングコース。
その向こうのカフェで朝食を済ませる。明日の朝一緒に来よう」
「目を閉じるとあなたの風を感じるわ。
この街で息づいているあなたの風よ。
私、ニューヨークに来てよかった。本当に来てよかった」
二人は公園のベンチに腰を下ろした。
今日子は大沢の顔を見て微笑んだ。
「どうしたの? 僕の顔に何かついている?」
大沢は今日子に尋ねた。
今日子はなおも微笑みながら、大沢に語りかけるように言った。
「私、赤ちゃんが出来たの」
大沢は目を丸くした。そして今日子を見つめた。
「メールで知らせなくてごめんなさい。
でもこんな大切なことメールじゃなくて
私、直接あなたに言いたかったの。
そして二人で喜びを分かち合いたかったの。
もう母子手帳ももらったわ。
来年の三月には私たちの赤ちゃんが生まれる。
私たちパパとママになるの」
「私、この世で一番大切なものがわかったわ。
だからニューヨークへ来たの。
この街であなたと一緒に暮らしたい」
今日子はそう言うと、大沢の胸に顔を埋めた。
ニューヨークの秋は早い。
陽はゆっくりと西に傾き始めた。
大沢はポケットから指輪を取り出して、今日子の指にはめた。
「すぐに結婚しよう」
大沢はためらいもなく言った。
夢にまでみたニューヨークで今、今日子は大沢のプロポーズを受けた。
妻になる喜び、母になる喜びが同時にやって来た。
今日子は大沢に肩を抱き寄せられると、涙が溢れて来た。
二人はそれから夜の街へと出かけた。
「今日子、ここがミッドタウンだ。
世界に名だたるブランドショッピング街の5番街。
エンターテイメントの最高峰のブロードウェイ。
眠らない街の代名詞のタイムズ・スクエア。
高層ビルが軒を連ねるビジネス街。
今日子、今夜はニューヨークを感じてほしい」
「この街の熱気が伝わってくる。
私もこの街が好きになれそうよ」
二人はタイムズ・スクエアの近くのレストランに入った。
久しぶりに向き合っての食事だった。
いつもならワインかブランデーで乾杯した二人だったが
今日は二人ともオレンジジュースをグラスに入れた。
「あなたまでオレンジジュースにすることないのに」
「僕はもうすぐパパになるから」
大沢は訳のわからないことを言って今日子を笑わせた。
ニューヨークでの初めての夜であった。
食事が運ばれて来た。
「何でも食べられるの?」
「そうなの。妊娠にも気づかないくらいで。
夏風邪だと思って病院に行ったら、おめでただと言われた」
「今夜はしっかり食べて。今日子は二人分食べなきゃ」
「太りすぎはよくないのよ」
「セントラルパークで、今日子から聞いた時は驚いた。
でも嬉しかった。
今日子をずっと待っていてよかった。
神様は僕たちに赤ちゃんまで授けてくれた。
僕は人生で今日ほど嬉しい日はなかった。
これから僕のすべてをかけて今日子を愛してゆく。
僕を信じてついて来てほしい」
今日子もまた今日ほど嬉しい日はないと思った。
妊娠を祝福してくれて、大沢にプロポーズされて・・・・
人生最良の日だと思った。
5日間の休暇はあっという間に過ぎていった。
今日子の帰国の日が来た。
1ヶ月もすればニューヨークで今日子との新婚生活が始まる。
二人は部屋のカーテンを選んだり、台所用品を揃えたり
今日子のためにクッションのいいソファーも買った。
そんな楽しい毎日はあっという間に過ぎて行った。
「10月半ばにはニューヨークに来るから、あと1ヶ月待っていて」
「わかった。
今日子にはずいぶん待たされたから1ヶ月なんてすぐだよ。
こんな幸せ、何だか夢じゃないかと思ってしまう。
これは夢で明日の朝起きたら、夢が消えていそうな気がする」
「大丈夫よ。夢じゃない。真実だよ。
今日子はどこへも行かないし消えたりしない。
あなたの今日子はきっとまたニューヨークに来る」
今日子はそう言うと大沢の車に乗った。
エンジンをかけると、車は空港へと走り出した。
「あなたの今日子はきっとまたニューヨークに来る」と言った言葉が
大沢の耳に何度も何度もこだましていた。