ニューヨーク恋物語

大沢のところに今日子の父から電話があったのは
10月初旬のある土曜日の午後だった。
ニューヨークに来ているから、明日会いたいとの申し出だった。
今日子の父の勤める会社はニューヨークにも支店があって
年に2〜3度渡米していた。
大沢は過去に二度
今日子の父とミッドタウンで食事をしたことがある。

電話で店の指定をすると、大沢の自宅へ行きたいと言った。
まもなく今日子との住まいになるアパートを
見ておきたいという親心なのか。
大沢は今日子の父と午前10時に約束をした。

日曜日の朝が来た。
今日子の父は10時を過ぎると大沢のアパートを訪れた。
久しぶりに対面する父だった。
海外勤務を長く経験した今日子の父は
大沢にとって人生の先輩であり、よき理解者であった。
かつては色々にアドバイスしてもらい、心強く思ったものだ。
温厚な父はどんな時でも大沢に対して優しかった。

「ご無沙汰しております。この度はどうしても帰国できず
 両親を代理に立て申し訳ございませんでした。
 お父さんには一度きちんとご挨拶がしたかったです」

仕事の都合で、大沢はどうしても帰国できず
両親を代理に立て今日子の実家に出向いてもらった。
そして結婚の承諾をしてもらったのである。

今日子の父は優しい眼差しで大沢を見つめた。
目元と口元が今日子に似ている。
今日子が尊敬し、とても愛している父がそこにいた。

「大沢君にはいつも今日子を可愛がってもらって・・・・
 家内とも話していました。大沢君のような人でよかった。
 今日子は幸せ者だと」

「僕の方こそ、大切なお嬢さまをニューヨークへさらって行くようで
 申し訳なく思っております。
 結婚をお許し頂いて本当に嬉しかったです。
 今日子さんを僕の生涯をかけて大切にいたします」

今日子の父はコーヒーを飲み終わると
少し時間をおいて重い口を開いた。

「大沢君、今日は今日子を連れて来ました。
 ニューヨークの大沢君の許で暮らさせてやるのが
 今日子にとって一番の幸せではないかと・・・・」

意味のわからない大沢に
今日子の父は白い小さな箱を差し出した。

「今日子です。大沢君に愛された今日子です」

大沢の顔から血の気が引いた。
大沢は言葉を失った。
大沢の前に差し出された箱には今日子の遺骨が入っていた。

「一週間前のことでした。
 ウエディングドレスが出来上がりましてね。
 今日はもう遅いから、明日にしなさいと言うのに
 ニューヨークへ持って行くウエディングドレスだから
 一日も早く見たいと申しましてね。
 雨の降る夜、南青山まで車で取りに行ったのですよ。
 その帰りに交差点で事故に遭いましてね。
 救急車で病院に運ばれた時はもうほとんど意識がなくて
 それでも最後には大沢君の名前を呼びながら逝きました」

大沢の目からは止めどなく涙が流れた。

「大沢君にはお知らせすべきだったけれど、家内とも相談して
 別れは辛いし、今日子も心残りだろうから私たちだけで見送ろうと。
 そしてニューヨークに連れて行ってやろうと話し合いました。
 告別式には君のご両親も参列してくださった。
 君たちの子供も助からなかった。
 寂しがり屋の今日子だから
 きっと君との忘れ形見を一緒に連れていきたかったのだろう」

今日子の父は苦しそうにひとつひとつ状況を話してくれた。

「大沢君、哀しいけれど、泣かないでやってください。
 泣けば今日子が不憫になる。
 やっと仕事を辞める決心をして、ニューヨークで
 君と生まれてくる子供と三人で暮らす夢を見ていました」

「亡くなる三日前に、赤ちゃんの胎動を感じると言いましてね。
 大沢君に似て元気がいいと喜んでいました。
 子供も駄目で、君には本当に申し訳なく残念だ」

今日子の父はなおも話を続けた。

「外傷はほとんどなくきれいでした。
 別れ際、今日子の友人が薄化粧をしてくれ
 真っ白いウエディングドレスを着せて、パスポートを持たせて
 荼毘に付しました」

大沢の嗚咽はやがて号泣に変わった。

「今日子と君たちの子供を連れて来ました。
 今日子が夢にみたニューヨークで暮らさせてやってください。」

「大沢君、泣かないで。
 君はどんな時でも強い青年であると信じています。
 だから今日子がこれほどまでに君を愛したのだと。
 今日子をこのニューヨークで、君のそばにおいてやってください」

二時間ほど今日子の父は大沢と話をしてホテルに戻って行った。
大沢はそれからしばらく抜け殻のような生活をした。


どのように残酷な現実が起きても、人は立ち直ろうとする。

指を傷つけて血が出ても、やがては出血が止まるように
どんなに大きな傷口であっても少しずつ塞いでいく。
きっとこれが生きるということなのかと思った。


今日は今日子の四十九日だった。

大沢は今日子を連れて、教会に行った。
神父さんの話を聞いて、一緒に神に祈った。

夜、大沢はマンハッタンの
ロックフェラーセンターのレストランに来ていた。
みなとみらいで最後の夜を過ごした時、今日子は尋ねた。

「ねぇ・・・ニューヨークの夜景はきれい?」・・・と。

この場所からマンハッタンの夜景を見せてやりたかった。
摩天楼のビルの真ん中で
この夜景を見たらきっと今日子は感動するだろう。
エンパイア・ステート・ビル、マンハッタン対岸のブルックリンや
アップタウンの高層ビルのタワーが放つ光のシャワーを見て
今日子はどんな表現をするかといつも思っていた。

グラスにブランデーを入れた。
「乾杯」と言って、グラスを傾けてくるのはいつも今日子だった。
その時の今日子はまるで少女のような悪戯っぽい目をした。
大沢は今日子の遺骨の入った箱をテーブルの上に置いて
優しく語りかけた

「今日子、今夜は二人の夜に・・・
 いや・・・ ベイビーと三人の夜に乾杯だ」

大沢がそう言ってグラスを傾けた。


二人はミレニアムの年に出逢った。
横浜の赤レンガ倉庫でのイベントに参加して
友人から今日子を紹介された。

長い黒髪、目鼻立ちのはっきりした美人だった。
ブルガリの時計にエルメスのバーキンを持った今日子は
近寄りがたかった。
けれど今日子はとても気さくに話をしてくれた。

たくさんの写真を撮った大沢は
後日それを今日子に渡すために再会した。
そののち写真のお礼にと言って
今日子は手作りのロールケーキを作って大沢に届けた。
大沢はまるで少年のように体全体で喜びを表現した。
そうしてごく自然な形で交際が始まっていった。

ユーミンが好きで、車が好きで、海が好きで、映画が好きだった。
二人の共通の趣味は二人をより一層結びつけた。

春が過ぎ夏が来て、秋が過ぎ冬が来た。
季節はめぐり、二人は青春を謳歌しながら共に生きた。


5月に帰国した時、夢のような一週間だった。

毎朝、夫婦のように、横浜から東京のまで通勤した。
行き帰りの楽しかったこと。
今日子はまるで子犬のように大沢にじゃれてきた。

湘南の海で過ごしたこと。
タコウインナーやウサギのりんごが懐かしい。
サンドイッチもホットドックも天むすびも美味しかった。

赤レンガ倉庫で出逢った日のことを語り合った。
今日子のバーキンを今でも思い出す。
あの頃、「私はバーキンのために働いているのよ」と言った今日子。
けれど大沢と付き合い始めると価値観は次第に変わり
角が取れて他愛もないことを無性に喜ぶ女に変わっていった。

みなとみらいの夜景を見ながら
ランドマークタワーのラウンジでお酒を飲んだこと。
部屋では恥じらいながら、写真を撮らせてくれたこと

そしてベットではいつもしなやかな変身を遂げた。
瑞々しい体は大沢のためにだけ開花してくれた。
今日子を抱く時、大沢はいつも男冥利に尽きると思った。
アダムとイブの世界で、禁断の果樹を食べようとするアダム。
自分は神の教えに背いてアダムになってもいい。
今日子を得られるなら、この先どんな過酷な労働も耐えられると
よくそんなことを思ったものだった。

別れの朝・・・
ホテルから見た朝陽と同じほど今日子の裸体は眩しかった。
空港で「私、泣いていないから」と言いながら泣いていた今日子。
残してゆくのがどれだけ切なかったことか。

20日前にニューヨークに来た今日子。
妊娠したことを
「メールではなく直接あなたに言いたかった」と言った。
「私たちパパとママになるの」と言った時の今日子の誇らしげな顔。

夕暮れのセントラルパークで「結婚しよう」とプロポーズした時
今日子は泣いていた。

夜のミッドタウンに行き
ニューヨークを語る大沢の顔をじっと見つめていた今日子。
タイムズ・スクエアのレストランではオレンジジュースで乾杯した。

折角の5日間の休暇だったのにどこへも行かず
新居になるアパートの模様替えや生活用品を買い揃えた。
けれどその時の今日子はとても楽しそうだった。

「今日子、君はあと1ヶ月待っていてと言ったね。
 今日子にはずいぶん待たされたから1ヶ月なんてすぐだよ。
 そんなことを言った僕なのに、僕は永遠に君を待つことになった」

「あなたの今日子はきっとまたニューヨークに来ると言ったのに。
 今日子はこんなに小さくなって・・・」

「今日子は僕に嘘などついたことがなかったのに」

大沢は今日子の遺骨に語りかけながらブランデーを飲んだ。
大沢は今「蒼い時代」が終わったと実感した。


セントラルパークの西にあるウエストサイドの一画に

大沢は今日子の墓を建てた。
ハドソン川に面した清閑な住宅街の外れである。
かつてはジョン・レノンとオノ・ヨーコが住んでいたダコタ・アパート。
ブロードウェイやストロベリー・フィールドがある。
ここは大沢がニューヨークで一番好きな場所である。

大沢は今日子の墓標にこう記した。


Here lies Kyoko Osawa, beloved wife.
             
R.I.P.

She gave me much love and splendid happiness.
Oh her black eyes, gentle voice and soft lip.
There will not be the person who can continue
strongly loving her than me.
She lives forever in my heart.


そして今日子の大好きなバラの花が手向けられた。

大沢は一人佇み、静かに祈りを捧げた。

ニューヨークの秋はこれから一気に深まってゆく。

                     
                      完

最終章
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BGM (Thank You)
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