市松人形
これは私の市松人形
節目の年に私の身代わりに
いつも傍に人形を置いておきたいと思い
人形店に出向いて購入した
たくさんの市松人形の中で
この子はなぜかとても寂しそうに立っていた
私がたくさんの人形を吟味している時
この子はじっと私を見ていた
視線が気になってこの子を見上げた時
この子は涙目になっていた
この子しかいないと思い連れて帰って来た
早春の日の夕暮れどきだった
(3月1日)
源平桃
一本の木に源氏と平家が宿る源平桃
時にはひとひらの花びらにさえ
紅白がまざり合い その花姿の華麗さよ
桃の節句にこれほど美しい花は
他にはなかろう
花ひと枝にハサミを入れた
もうせんの上に置くと内裏様が笑った
(3月2日)
(3月3日)
ひな祭り
ただひたすらにあなたの成長を願って
ひな人形を飾り 母の出来る精いっぱいの
ご馳走を作り
幾年月も繰り返しながら迎えた三月三日
あなたの人を慈しむ優しい心
あなたの物に動じない大らかな心
あなたの嘘がつけない真っ直ぐな心
みんなみんな大好きだよ
私にはもったいないような娘
父さんと母さんの大切な宝物
東大寺二月堂・修二会
「 水取りや こもりの僧の 沓の音 」
松尾芭蕉もその法会を目の当たりにして強く心を動かされた
東大寺二月堂・修二会
今年で1253回を迎え 太平洋戦争当時も含め
今まで一度も中断されることなく引き継がれてきた「不退の行法」
おたいまつを持った童子が二月堂の舞台を走り回り
欄干から突き出して揺する
夜空に舞う火の粉は まるで桜の花びらがはらはらと散り落ちるようで
詰め掛けた観衆の上に滝のように流れ落ちる
お水取りが終わると大和路にも ようやく春が訪れる
(3月4日)
春を探しに・・・
臆病な春さんがなかなか来ないから
私これから春さん探して旅するの
春さんきっと南にいるわ
コトコト揺られて列車に乗った
ねぇ春さん・・・ あなたのために
お花畑の列車で迎えに行くね
七つ目の駅 「春の里」
そこで下車して徒歩10分
春さんすぐに迎えに行くから待っていて
(3月5日)
(3月6日)
重なる
時計の短針と長針が重なる時
その1分の逢瀬で彼と彼女は
いったい何を想うのか
愛しても愛してもたった1分しかない
その1分に彼女は彼に何を伝えるのか
そんな切ない恋 私には出来るだろうか
けれどもしも私が短針ならば
その1分は何も語らず
ただ目を閉じてあなたの心に重なりたい
自分を見つめて生きる
イソップ物語の「肉をくわえた犬」
橋の上を渡ろうとした時
水面に映った自分の姿を見極めることが
出来ずに牙を向けた
その瞬間に自分が得たものを
すべて無くしてしまった哀れな犬
あなたは今 水面に映った姿を
自分だと確認することが出来ますか?
たとえどんな姿であれそれが現実なのだと
受け止められますか?
何もかも踏まえた上で一分一秒を
私らしく輝いて生きていたい
(3月7日)
沈丁花
家族を見送ったあとの月曜日の朝
馥郁とした香りが家に入ろうとする私を
呼び止めた
垣根を振り返れば開花した沈丁花
満月の夜を好んで・・・・
月の明かりの下で思いきり呼吸をして
夜明け前にパチンパチンと喜びを
表現しながら開花するという
誰が伝えたかそんな逸話がある
私も春が来たことが嬉しくて
パチンパチンと一緒に弾けそうだ
(3月8日)
(3月9日)
時の流れ
最近ほとんど使われなくなった公衆電話
列を並んで空くのを待った時もあった
ポケベル時代にはこの公衆電話から
若者達はどれほどのメッセージを送ったことか
今ではほとんど使われなくなった
時の流れは残酷で
不変だと思っていたこと
絶対的だと信じていたことが崩れてしまう
哀しいとみなすか 進歩とみなすか
それは人それぞれ
永遠などありえないことを見つめ直し
受け止めなければならない時がある
(3月10日)
自由に生きるあなた
時々あなたに無性に会いたくなる
憧れから始まったこの想い
スケールの大きさと自由に生きる姿が好きだ
そんなあなたは私の手の内でいるはずもなく
だから余計にあなたに魅かれるであろう
春霞の中を今日もあなたは未来へと向かった
地上にいる私はいつもあなたを見送るだけ
それでいいではないか
これ以上何を求めるというのか
私の想いはきっと届いているはず