2007年秋を記念して
大沢と今日子の「ニューヨーク恋物語」をもう一度よみがえらせて
東京・横浜の風景の中でスペシャルにお届けします
「ニューヨーク恋物語」終了から2年4ヶ月
今日子の三回忌の法要のために
大沢が日本に一時帰国したことから物語の始まりです
今回も 前回同様
写真「NIGHT Windows 〜東京の夜景」のShinshinさん
音楽「Blue Piano Man」さん作曲の 「Thank You」
そしてマドンナが綴る物語のコラボレーションでお楽しみください
尚 2005年5月〜7月連載の「ニューヨーク恋物語」をお読みでない方は
是非、そちらの方を先にお読みください
また 2005年12月の「クリスマススペシャル・ニューヨーク恋物語 パリ追憶編」も
併せてお楽しみくださると嬉しいです
Today’s Gallery
2007年11月1日〜10日更新
今日子・・・
十月の初めに帰国して、もう一ヶ月になる。
僕は明日の夕方の便で、成田からニューヨークへ発つよ。
これでまたしばらく日本ともお別れだ。
今日子・・・ 今度は、いつ日本に帰れるかわからないよ。
ニューヨークでの一人暮らしは寂しいけれど
帰国すると
東京や横浜には君との思い出がいっぱいで、切なくなる。
思い出の場所に立つと、街の曲がり角から
ふいに君が現れるんじゃないかと、錯覚してしまう。
君のいない横浜は、僕にとって「彩り」を失った街に過ぎない。
そんな想いを胸に、僕は明日、ニューヨークへ発つよ。
十月、君の三回忌の法要のために東京に帰り、一ヶ月。
本社での仕事にも、ようやくメドがついた。
僕にとっては、あっという間の一ヶ月だったよ。
毎日、仕事に追われて、なかなか君にメールができなかったけれど
今夜、こうして君に語りかけながら、キーボードを叩いているよ。
横浜最後の夜、このメールを書き終えたら君に送りたい。
今日子、君のいる天国のメアドを僕に教えておくれ。
今日子・・・ 今夜、僕はどこにいると思う?
二年前に一時帰国した時、僕がニューヨークに発つ最後の夜
今日子と過ごした、横浜のロイヤルパークホテルの客室にいるよ。
フロントに無理を言って、あの夜と同じ部屋を取ってもらった。
最後にこの部屋で、今日子と話がしたかったんだ。
二年の月日が流れても、僕は今でも君を忘れられずにいるよ。
そんな僕にきっと君は言うね。 「大沢君って、バカね」って。
秋晴れの十月
君の三回忌の法要は、鎌倉のご実家で、ごく内輪に行われた。
仏前には、生前君が好きだった秋桜の花が飾られていたよ。
君のご両親ともゆっくり話をさせて頂いた。
僕の知らない親孝行で優しい今日子がいて
お父さんやお母さんにもたくさんの幸せを与えてあげたんだね。
君の子供の頃のアルバムを見せてもらったよ。
柿の木に登り、泥んこ遊びをしたり、ゴーカーに乗ったり
君はドール遊びより、男の子のような遊びが好きだったと。
君の快活さは、幼少の頃の遊びから培われたものかもしれない。
まだまだ僕の知らない今日子がいた。
そんな今日子の全てを僕は生涯をかけて、知ろうとしていたんだね。
今はとても残念だよ。
今日子・・・ 十月半ばにお台場に行ったよ。
久しぶりに「ゆりかもめ」に乗ると
僕たちの夢の日々へとタイムスリップして行くようだった。
お台場は僕たちのデートコースのひとつだったね。
初めて喧嘩したのもお台場だったし
ここではたくさんのライブやイベントも楽しんだ。
クリスマスの時の「B’z」のライブは楽しかったね。
お台場で夜のデートをすると
帰り際、いつも君はこう言った。
「私、もう一歩も歩けない。 ねえ・・・大沢君、私をおぶって」
そう言って、僕に甘えてきた。
今日子はいつも僕の姉のような存在だったけれど
お台場では、妹のような子供のような君がいた。
おぶってやると、君はものの五分も経たないうちに寝息を立てた。
レインボーブリッジを眺めながら、僕たちはよく未来の話をしたね。
今日子・・・
サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」という曲の一節に
こんなフレーズがあるのを知っているかい?
君が打ちのめされて 立ちすくんでしまった時
僕がなぐさめてあげる 僕が君の代わりになるよ
暗闇が襲い 苦しくてどうにもならない時は
荒れた海に架かる橋のように 僕が体を横たえるから
この歌は今でもニューヨークの人々を勇気づける歌なんだよ。
僕も今日子のためなら「橋」になるつもりだった。
荒れた海に体を横たえ、君の幸せへの架け橋になるつもりでいた。
今日子、君と僕との歴史の中にはない東京の名所ができたよ。
その名も「東京ミッドタウン」
「東京ミッドタウン」が竣工した2004年5月
僕はニューヨーク支店への転勤の辞令が下りて、渡航準備をしていた。
汐留のレストランで君にプロポーズできず、誕生石の指輪も渡せなかった。
君は新しいプロジェクトチームに参加することが決まり、輝いていた。
その後の僕たちには色々なことがあったけれど
その間も、ここでは順調に工事が進められていたんだね。
2007年3月「東京ミッドタウン」はグランドオープンしたようだ。
六本木ヒルズと対抗するような形だけれど、とても賑わっていたよ。
君と僕が今、東京にいたなら、きっと二人で出かけたに違いない。
今日子は、新しいものが大好きだったからね。
今日子が好きだったサントリー美術館もここに移転していたよ。
今日子・・・ この写真は仕事帰りに、都庁や新宿の街を撮ってみた。
新宿の街が一番ニューヨークに似ている。
マンハッタンの夜景は、僕の中ではいつも新宿と重なった。
残業で帰りが遅くなると、君は僕の会社のある新宿まで来てくれた。
そして新宿で食事をして、夜の新宿の街を歩いた。
摩天楼のビルの真ん中で、僕は街の灯りを見るのが好きなんだ。
無数の命の光がキラキラ輝いているようで、その輝きがとても愛しい。
ニューヨークでも東京でも、人は懸命に生きているんだね。
今日子・・・ 東京に着いた夜、僕は素晴らしい光景に出会ったよ。
僕が「東京タワー」が好きなことは、よく知っていたよね。
帰国した夜、僕は東京タワーに行ったんだ。
そしたらピンクの東京タワーがいたんだ。
僕は一瞬、今日子が立っているような気がしたよ。
これは「乳がん早期発見啓発キャンペーン」の一環として
この夜は世界の有名な建造物をピンク色にライトアップして
全世界の女性たちに、アピールしようという企画のようだった。
こういう運動にも、今日子は積極的に参加していたね。
君はいつも働く女性や、弱い女性の味方だった。
君は弱者を守って、いつも何かと闘って、とても強い女性だったのに
こんなに儚く消えてしまったなんて、マジで嘘だろう?
横浜での思い出はいっぱいだ。
ランドマークタワーやみなとみらいの観覧車は
いつも今日子のアパートから見ていたフレームだった。
僕たち、みなとみらいの観覧車に何度乗ったことだろう。
夜の観覧車に灯りが点る。
みなとみらいの観覧車は四季折々に色が変わったね。
春はグリーンイエロー、夏はブルー、秋はゴールド、冬はピンクレッド。
それからもうひとつ、みなとみらいの観覧車には60基のゴンドラがある。
色とりどりの60基のゴンドラの中に、1基だけある「紫のゴンドラ」
60分の1の確率で、偶然「紫のゴンドラ」に乗ることができたら
「幸せになれる」というジンクスがあった。
けれど僕たちは何度乗っても「紫のゴンドラ」には乗れなかった。
「私たち、幸せになれないの?」
君はそんなことを言ったね。
その時の今日子の落胆した顔が、今でも目に浮かぶ。
今日子・・・
横浜の中華街に行って、久しぶりに中華料理を食べたよ。
二人でよく食べに行ったね。
華奢(きゃしゃ)な体の今日子が、どうしてこれだけ食べられるのか
僕はいつも不思議だった。
ニューヨークのダウンタウンにも「中華街」があるんだよ。
ここはいつ行っても繁盛していて、ダウンタウンの中華街に行くと
僕は横浜の中華街で今日子と食事をしたことを思い出していたよ。
ふかひれスープ、北京ダック、あわびの冷菜、生春巻き、小龍包
五目おこげ、杏仁豆腐、胡麻揚げ団子、タピオカ入りココナッツミルク
みんな今日子の好きなものばかりで、君は「紹興酒」をロックで飲んだ。
お酒の弱い僕は、そんな君に憧れていたよ。
食事の後、 僕は山下公園を歩いてみた。
いつも君と二人で歩いていた道をもう一度歩いてみた。
今でも今日子の手の温もりを覚えていて、あったかいよ。
僕は今でも君と一緒にいる。
この場所から、僕たちはランドマークタワーや観覧車や
コンチネンタルホテルを眺めるのが好きだった。
ここに来ると、君はいつも歌を歌った。
赤い靴はいてた 女の子
異人さんに連れられて 行っちゃった
横浜の波止場から 船に乗って
異人さんに連れられて 行っちゃった
ねえ、今日子・・・
この「赤い靴はいてた女の子像」の女の子
「きみちゃん」って名前だったっけ?
いつか今日子にこの子の名前を教えてもらったのに、おぼろげだよ。
ねえ、今日子・・・
この女の子、「きみちゃん」って名前だったよね。
今日子・・・ 僕はついさっきまで「赤レンガ倉庫」にいたんだ。
明日、ニューヨークに立つ前に、どうしてもここに来ておきたかった。
僕たちはミレニアムの年に
赤レンガ倉庫でのイベントに参加して出逢った。
長い黒髪、目鼻立ちのはっきりした美人だった。
ブルガリの時計にエルメスのパーキンを持った今日子は近寄り難かった。
けれど君は、誰とでも気さくに話をしていた。
そして友人から君を紹介された。
その時は目まいがするほど、君が眩しかったし動揺した。
僕はあの時、一瞬にして恋に落ちたんだね。
後日、撮ったイベントの写真を君に渡すために再会した。
冷静に振舞おうとしたけれど、上ずった声、上の空の会話
僕は完全にバカだと思われたと思った。
そして僕のドキドキが君に聞こえるんじゃないかとさえ思った。
そしてその後
君は写真のお礼にと、僕に手作りのロールケーキを届けてくれた。
そしてごく自然に、僕たちの交際が始まった。
ユーミンが好きで、車が好きで、海が好きで、映画が好きだった。
二人の共通の趣味は二人をより一層結びつけた。
赤レンガ倉庫の出逢いから7年の歳月が過ぎた。
二年前に僕が一時帰国した時も
僕がニューヨークに立つ最後の夜、二人でここに来たね。
そして出逢った日のことを語り合った。
潮風が心地よく、僕たちに愛の歌を奏でてくれた。
港に停まる船は、二人の未来を祝福してくれているようだった。
僕たちはこの船に乗って、二人の人生へと航海するつもりだった。
今日子・・・ 君は言ったね。
「私は大沢君以外の人は愛さない、だから大沢君も今日子だけを愛して」
初めて出逢ったこの場所で、愛を誓い合ったね。
天国に行った君は、今でも僕だけを愛してくれているのだろうか?
僕は今でも今日子を愛している。
世界中の神さまに、誓って言える真実だよ。
今日子・・・
今、ホテルの部屋の机の上には今日子の写真があるよ。
二年前にこの部屋で、僕に撮らせてくれた君の全裸の写真だ。
こんなわがままな僕の願いに、いつもなら絶対に「イヤ」だと言う君が
なぜか素直に承諾してくれた。
あの時・・・
五ヶ月後に僕たちに永遠の別れが来ることを君は予測していたのか。
バスローブを脱ぎ、長い黒髪を巻き上げると、髪留めで留めた。
うなじにかかるおくれ毛が今日子を一層色っぽくさせた。
「照明は消して」と言う君の言葉通りにしたけれど
あの夜、みなとみらいの夜景と月の光で
今日子の裸体はくっきりと浮かび上がった。
抜けるような白い肌、小さいけれど形の整った乳房。
くびれた腰から下腹部にかけてのなだらかな曲線。
大腿部から足の爪先まで、君は美しいビーナスのようだった。
今でもこの写真を見ると、あの時の初々しい君を思い出す。
ベットでは、僕は歓喜と感動の連続だった。
今日子の口から発する喘ぎの声は、いつも儚げで切なかった。
この慟哭にも似た今日子の声は何なのか。
僕は君と結ばれる度に、幾度となく一抹の不安を感じた。
けれど、その不安は君が天国への階段を昇っていたことだったとは
あの時の二人にはわかるはずがなかろう。
僕は「愛している」と繰り返しささやき、君の体に唇を押し当てた。
二人は羞恥の心をかなぐり捨てて、ひたすら求め合った。
ゆっくりと、けれど激しく愛撫しながら
僕は君の股間に顔を伏せ、ピンクに息づく花びらにそっと触れた。
君はかすれた声で何度も僕の名前を呼んだ。
「大沢君・・・ 大沢君・・・ 大沢君・・・」
やがてゆっくりと、君の花びらに進入すると、君は僕に言った。
「お願い・・・ ゆっくりと・・・ 永遠に・・・ 果てないで ・・・」
「私・・・ あなたを・・・ ずっと・・・ 覚えて・・・ おきたい・・・」
今夜もみなとみらいは美しいフォトフレームの中にいるようだ。
この光景もこの部屋も二年前の五月と何ら変わりはない。
ただ、僕のそばに今日子がいないだけだ。
横浜のベイブリッジはニューヨークのブルックリン橋と似ている。
僕はブルックリンの橋のたもとに立つと
いつも横浜のベイブリッジを思い出していた。
君とこの橋を渡って
未来へ行くつもりが、僕たちの「歩み」はこと切れた。
今日子・・・ 君は僕に嘘などついたことがなかったのに。
僕たちは「永遠」だと言ったのに。
でも僕は思っている。
人はいつかは「虹の橋」を渡って、第2のステージへ行く。
それまでの間、地上と天上に別れて暮らすだけなのだ。
そしてこの橋こそ
天国の今日子と僕を繋ぐ「愛の架け橋」だということ。
「愛の架け橋」はニューヨークにも横浜にも架かっているんだ。
僕がニューヨーク滞在中、君は毎日メールをくれた。
そしていつも愛の言葉を書いてくれていた。
オフィスのデスクで、セントラルパークの芝生の上で
五番街のカフェで、通勤のバスの中で
そしてアパートでと、僕は待ちきれずにすぐに開封した。
愛している
I love you(アイ ラブ ユー)
Ich liebe dich(イッヒ リーベ ディッヒ)
Je t’aime(ジュ テーム)
Ti amo(ティ アモ)
この言葉を全て、Re(リピート)して、君にメールを送ろう。
きっと天国にも届くと信じて君に送ろう。
僕はこんなにも君を愛している。
今でも変わらず今日子を愛している。
今日子・・・ 朝が来た。
朝陽が昇り始める。
あの朝とすべて同じ光景だ
二年前・・・
まどろみの中、君は僕の呼ぶ声で目を覚ました。
今日子は全身をシーツで覆ったまま僕の横に立ち
ホテルの部屋のこの窓から、二人で朝陽が昇るのを眺めた。
消えかけていた今日子との記憶が全て戻ってきたよ。
今日子・・・ この部屋での思い出をありがとう。
僕は今日子を決して忘れることはない。
新しい朝の始まりだ。
この光景を思い出に、僕はニューヨークへ発つよ。
横浜は僕にとって青春そのもの。
秋が深まってきた。